Blog #17 「イスラーム社会における「言葉」の力:ワファー(契約の誠実履行)から見る「信頼形成」の基盤 【後編】」

2023.10.18

カテゴリ: イスラーム信頼学ブログ

執筆者: ハシャン アンマール

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 クルアーンの食卓章の冒頭に「おお、信仰する者たちよ、約束を守りなさい」と命じられていることは上に触れましたが、もう少し詳しい指示もあります。「あなたたちが約束をした時には、アッラーとの約束を守りなさい。〔アッラーの名によって立てた〕誓いは、それを確かにした後では、決して破ってはなりません。あなたたちは、確かにアッラーを〔誓いの〕保証人としました。まことにアッラーは、あなたたちがしていることを熟知している」(蜜蜂〔16〕章91節)。そして、「約束をまっとうしなさい。約束は、必ず〔その責任が審判の日に〕問われます」(夜の旅〔17〕章34節)と、人間はうながされます。

 つまり、毎日、アッラーに向かって礼拝を欠かさない信徒は、神との約束に従って平伏して祈っているのであり、そして神との約束=「神の教えに従う」という内容の中に、人間同士の場合の約束も「約束を守る」義務に含まれるということです。つまり、「約束を守る」ことは、あらゆることに関して一般的な義務として示されています。

 タバリー(西暦923年没)という、最初期のクルアーン解釈書(しかも、非常に大部のものです)を著した学者は、この章句での約束または契約の意味・内容について、次のように述べています――「あなたたちが戦争相手と結ぶ約束や、ムスリム同士で(の争いで)結ぶ約束、あなたたちの間での〔商品の〕売買や飲用水〔の供給〕、〔不動産や農地の〕賃貸などの契約を指し、その契約を誠実に履行しなければなりません」。

 話は、アラビア語と日本語の違いに少し戻りますが、私は日本では会話の際に二重の意味を操ることができることに、非常に驚きました。いわゆる「建前」と「本音」ですが、最初は、「嘘」と「本心」の意味かと思ったのですが(それならアラビア語にもあります)、建前と本音はそれぞれのレベルで真実があり、2つを同時に操って、特定の意味を伝えることができることがわかり、とても不思議に思いました。つまり、相手に対する敬意としての約束と、実際にはそれはしないという暗黙の合意を同時に意味して理解し合える、という表現方法ですから、本当に驚きました。

 アラビア語ではそれはできないので、2つの意味を操ることはできません。言いかえると、ワファーを口で唱えて、裏の本音では「無理だよね」というようなことは、表現できないのです。アラビア語(あるいはイスラームの言語)では、口に出すことは真実であり(そうでなければ偽善ということになり)、口に出した以上はワファーの義務が生じます。


(写真2)「タバリーのクルアーン解釈書など、本研究で使用される資料(著者撮影)」

 このようにワファーの原則は、単なる道徳的助言や建前としてのものではなくて、イスラームの信仰の核心の一部であり、人びとが言葉によって約束や契約をする際の誠実さや信頼性に深く関係しています。ワファーを尊重しない人は、真のイスラーム教徒ではないと思われてしまいます。

 この点に関して、ハディース(預言者言行録)に、以下のような記述があります。

 アブドッラー・ビン・アムルによると、アッラーの使徒〔ムハンマド〕はこう述べた――次の4つの特徴を持つ人は、全くの偽善者です。たとえその1つでも持つ人は、それを捨てない限り偽善者の性質を持ち続けるでしょう。その4つとは、口をきけば嘘を言い、同盟すればそれを裏切り、約束をすればそれを破り、争い事になると不正をなすことです(ブハーリー『真正集』)。

 このように、イスラームの社会における信頼の基盤は、自分の発する言葉とそれを守ることの重要性にあります。言葉の重要性、ということを前提として考えないと、このことは理解しにくい、と感じています。その日常感覚がイスラーム社会の基盤にあって、その上に、経済的な契約などの遵守がなりたち、互いの間の信頼が醸成されているというのが、現在追究している考え方です。

 イスラームの基本的なメンタリティから始まって、ワファー(契約の誠実履行)は、地域の日常生活や人間関係の中での言葉の力と誠実な履行の重要性を示し、それが、イスラーム経済学やイスラーム社会における取引などの一般的な核心となっているのだろうと思います。本研究プロジェクトでは、これらの原則をクルアーンとハディースから収集し、解釈学者、注釈家、法学者だけではなく、現代のイスラーム金融・経済の専門家の見解も集めて、分析を進めています。それによって、イスラーム社会でのワファーの具体的な表れや、現代の取引や寄付の契約への応用についても、詳しく探求していきたいと考えています。

執筆者プロフィール

ハシャン アンマール(Khashan Ammar)

立命館大学立命館アジア・日本研究機構・准教授

1983年アレッポ(シリア)生まれ。2004年ダマスカス大学イスラーム法学部卒業、2008年同大学院修士課程修了(ハディース学)、2017年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士(地域研究)。専門:地域研究、イスラーム法学、ハディース学。京都大学、同志社大学、龍谷大学の講師等を経て、現在、立命館大学立命館アジア・日本研究機構准教授。著書に『イスラーム経済の原像:ムハンマド時代の法規定形成から現代の革新まで』(ナカニシヤ出版、2022年2月)など。

ひとこと

西暦7~10世紀くらいの時代を対象としたハディースの研究と、現代のイスラーム経済の研究を合わせてするのは、とても刺激的だと思います。デジタル・デバイスも多用しています。自分のことを、14世紀の歴史の中を往復する「時の旅人」と思うことがあります。

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