Blog #18「イスラームから考える人権規範」

2023.11.01

カテゴリ: イスラーム信頼学ブログ

執筆者: 池端 蕗子

 価値、規範は、歴史的に変容し続けてきた。今から200年あまり前、1789年に始まったフランス革命で唱えられた「人間は自由で権利において平等なものとして生まれ、生存する」(フランス人権宣言第1条)という規範も、貴族と平民の間に圧倒的な身分の差があり、多くの平民にあらゆる権利が認められないのが当然だった当時の世界においては、非常に画期的なアイディア(規範)だった。しかし今では、この「人間には生まれながらにして持つ権利がある」という規範は、もちろん完全に達成されているとは決して言えないものの、理念として掲げるのは当然のこととして広く受け止められるだろう。つまり、現代において「人権」は普遍的な国際規範となった。人権規範の国際的な広がりは、国連の中で人権に関してどのような決議が採択されたか、どの国がどの決議に賛成/反対したか、あるいはどのような国際条約に批准したか、などの指標で考えることができる。1948年に世界人権宣言が国連で採択され、これは国際人権規約として1966年に条約化された。イスラーム協力機構(OIC)の加盟国は現在57カ国(*1)であり、国連加盟国193カ国の30%ほどを占めている。これらのイスラーム諸国の多くも、この国際人権規約を順に批准していった。

(*1) Organization of Islamic Cooperation (略称OIC)。OICはパレスチナを国家として認定し、加盟国に数えている。2012年以降シリアは加盟資格停止処分中。

 国際規範に倣うことは、国家が国際社会の中で政治的信頼を獲得するための戦略の一つとも捉えられるだろう。たしかに、国家が政策として「人権」を掲げるときには、国家戦略の色合いが強い。その一方で、イスラーム世界内部では人権規範遵守のための模索も実際に行われてきた。その双方の動きを順に見ていこう。


サウディアラビア・ジェッダにあるイスラーム協力機構(OIC)事務局本部(2022年10月撮影)

 イスラーム諸国は人権侵害を理由にしばしば批判されてきた。2022年、カタールでサッカー・ワールドカップが開催された際には、移民労働者の実態が注目され、人権問題であるとして欧米メディアを中心に批判が行われた。イランの女性に対する抑圧的な政治や、アフガニスタンにおけるターリバーンによる女性教育の禁止も、人権問題として厳しい眼差しが向けられている。実際に存在している人権侵害については、もちろん批判がなされるべきである。問題は、イスラームという宗教そのものが「人権」の理念と相反するというバイアスの登場であった。そもそも、「人権」のような国際規範・国際法の形成においてはキリスト教啓蒙主義思想との結びつきも指摘されてきた。イスラーム諸国の側では、欧米中心的な「人権」規範の形成とそれに基づく批判を「押し付け」であるとして懐疑的な立場をとることもある。たとえば人権の一つに含まれる「表現の自由」の権利について、イスラーム世界では預言者ムハンマドの風刺表現を「表現の自由」の範疇とすることを明確に否定し、宗教を侮辱する自由までは認められないという立場を取る。

 2001年の9.11テロ事件以降、イスラームという宗教そのものとテロや暴力を結びつける言説が広まった。イスラーム諸国にとって、イスラームという宗教そのものがテロや暴力を生み出す、であるとか、イスラームの教えそのものが「人権」の理念に反するものである、というような、問題の原因をイスラームという宗教に還元するような(還元主義的な)説明に対して、立ち向かう必要性も生じた。

 このような状況の中で、イスラーム法学者たちは彼らのやり方で、「人権」とは何かを再解釈する試みを行った。つまり、伝統的なイスラーム法学の手続きに則って、啓典クルアーンやハディースに基づき、イスラームの立場から「人権とは何か」を定義しようとする営みが行われた。

 イスラーム世界には、カトリック教会のようなヒエラルキーもなく、「統一見解」のようなものをつくるシステムそのものが存在しない。伝統的に、各地域のイスラーム法学者たち(ウラマー)個々人が、新しい時代状況に合わせ、新しい技術・システムが登場した際には、知識と思索を動員し、それぞれに新しい法規定を導き出してきた。このイジュティハードと呼ばれる法の再解釈の営みが綿々と紡がれてきたからこそ、8世紀に始まったイスラームという宗教は現代まで柔軟に続いてきたと言える。

 国民国家システムの成立以降、イスラーム諸国国内の動きとしては、国家と結びついたウラマーが法学的見解を発表したり、それが国家政策と関わったりしてきた。そして新しく、国際的な事象として、イスラーム各国からウラマーが集まり、イスラーム諸国全体が共通して抱える問題について話し合い、イスラーム世界を代表した意見を作り出そうとする国際組織も登場してきた。1969年に設立したイスラーム協力機構(OIC)はサミットなどの国際会議の場を加盟国の政治主体に提供してきた。OICの下部機関である国際イスラーム法学アカデミー(IIFA)では、加盟国各国から、国籍・宗派・学派を超えてウラマーが参集し、1つの議題についてともに協議し、1つの法学的見解を発出する。これは「集団的イジュティハード」と呼ばれる。本来ウラマー個々人の営みであったイジュティハードを、国際的にウラマーが集まって共に行うことそのものが、イスラーム思想史上新しい事象でもある。


サウディアラビア・ジェッダにあるIIFA事務局にて、IIFA事務局長クトゥブ・サノ氏(右)にインタビューを行った執筆者(2022年10月撮影)

 このIIFAでは、「人権」とは何か、というテーマについてもウラマーによる国際会議が行われた。9.11事件直後の2001年12月に「イスラームにおける人権」というタイトルの決議がIIFAから発表された。その中ではクルアーン第30章30節を引用して、「イスラームにおける人権とは、全能者アッラーによって人間に与えられた神聖な名誉から生じる特権を指し、シャリーアの基準や条件に沿って尊重し遵守することを全ての人に強制するものである」と定義付けている。

 IIFAは具体的な事例についても様々な決議を作成してきた。ターリバーンの女子教育制限の問題についても会議が行われており、2022年12月にはIIFA事務局長のクトゥブ・サノ氏がターリバーン支配下において女子教育の制限が行われている現状を非難する声明文を発表した。この声明文には、「(女子教育を制限・禁止する)ターリバーンの主張は誤りであり、何の根拠にも基づかず、シャリーアとその教えに反するものである」とか、「女子と男子の教育を中断すること、妨げることは、いつの時代においてもウンマのコンセンサス(イジュマー)と矛盾する異常な見解の1つである」といった言葉が含まれる。あくまでイスラームの立場から、女性の人権が守られていない現状について批判がなされた。

 国家が主張する「イスラームの立場からの人権解釈」は、時に政治的な利害に基づくイデオロギーとなりうることも忘れてはいけない。「イスラームの立場からの人権解釈」は、イスラーム諸国の国内で「人権侵害が行われている」との国際社会からの疑いの眼差しに対して、その矛先をずらしつつ反駁する戦略の一つとして批判的に見ることもできる。したがって、イスラーム諸国やその代表となるイスラーム法学者が集まる国際会議は、そうした戦略の共犯関係として存在する側面も否めない。その一方で、イスラーム法学者たちが新しい時代の中で、実際に新しい規範を生み出し、宗派・学派を超えた合意形成を行っていることも見逃せない。彼らは決して人権規範を否定していない。あくまでイスラームの立場から、「人権」を守る必要性を説くのである。本研究ではこれを、規範をめぐる信頼構築の一つとして捉えている。

 国際社会で一定のパワーを持つ「人権」規範について、イスラーム学者たちはどのように解釈してきたか。そしてイスラーム諸国はどのような立場を表明してきたか。本研究では、OICやIIFAといった国際機関に着目し、この「人権規範のイスラーム的解釈」を、思想史上の新しい営みとしての側面と、イスラーム諸国の戦略としての側面との両方から、明らかにしていきたい。


ヨルダン・アンマンの書店街でアラビア語の資料収集(2022年9月撮影)

執筆者プロフィール

池端 蕗子(Fukiko Ikehata)

立命館大学衣笠総合研究機構・准教授

1990年生まれ。2014年、京都大学文学部西南アジア史学科卒業。2019年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員(PD)、大阪経済法科大学、立命館大学、同志社大学、関西大学の講師等を経て、現在立命館大学衣笠総合研究機構・研究教員(准教授)。専門は中東地域研究、宗教と国際関係。主著に『宗教復興と国際政治:ヨルダンとイスラーム協力機構の挑戦』(晃洋書房、2021年2月)、「イスラーム協力機構:宗教で結びつく国際関係」『現代中東における宗教・メディア・ネットワーク:イスラームのゆくえ』(春風社、2021年3月)など。

ひとこと

どんどんと変容する世界の中で、イスラーム法学者たちがたゆまず続けるイスラーム法解釈と価値基準創出の営みに関心があります。新しい科学技術や、経済システムの可否についても、イスラーム法学者たちは様々な裁定をつくってきました。本プロジェクトではフィールドワークと原典研究を組み合わせ、イスラームの立場からの人権規範の解釈を紐解きます。

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