Blog #17 「イスラーム社会における「言葉」の力:ワファー(契約の誠実履行)から見る「信頼形成」の基盤 【前編】」

2023.10.18

カテゴリ: イスラーム信頼学ブログ

執筆者: ハシャン アンマール

 今回の研究プロジェクトでは、アラビア語の「ワファー(誠実履行)」という概念を中心にいろいろと考察し、それがどのように社会の中での信頼をつくり出す基盤となっているか、ということを検討しています。漢字で「誠実履行」と書くと、少し堅苦しいですが、ふつうの言葉で言うと、ワファーは「約束を守ること」を意味しています。

 ワファーそのものの話をする前に、前置きとして少し、私にとっての日本語観、あるいはアラビア語と日本語の違いについて、お話ししたいと思います。

 私はシリアのアレッポ生まれで、学部と大学院の修士課程をダマスカス大学で終えてから、11年ほど前に来日する機会があり、京都大学で博士号を取得した後、日本で研究者を続けています。そうしているうちに、博士論文も、それを発展させた単行本も日本語で刊行することになりました。この研究ブログも自分で、日本語で書いています。

 といって、私自身は日本語の専門家ではありません。日本でイスラーム経済を研究する過程で、日本社会に対して研究成果をお知らせする中で、こういうふうに日本語で書く機会が日常化しているだけとも言えます。ですから、日本語学の非・専門家として、日本に暮らして、たびたび日本語の世界に驚きを感じています。概念を漢字で書くと、とたんにむずかしくなって、日常感覚から離れるという現象も、驚きを感じることの1つです。

 アラビア語では、むしろ、普通の言葉が難解な学問でも使われています。たとえば、「カディーム(qadīm)」という言葉があります。これは、「古い」という意味です。「あの建物はとても古いですね」という時、「カディーム」が使われます。その一方で、イスラーム神学で「アッラーはカディームである」というと、これは「無始無窮の永遠性」という意味で、一言で言えば「神は永遠者」という意味になります。無始というのは、始まりがないという点で、無窮は尽きることがない意味ですから、過去に向かって考えた時の果てしない永遠性を意味します。当然ながら、逆に「無終」の永遠性は、未来を考えた時の果てしない永遠性になります。

 このような神学や哲学に関する言葉は、日本語では難解な漢字になるのが普通です。ところが、アラブ・イスラーム世界では、毎週、金曜日には礼拝前にモスクで宗教的な説教がおこなわれます。モスクには、その地区の人たち誰もが参加しますから、場合によっては文字の読めない人、教育をあまり受けていない人もいます。その人たちに向けた説教で、イマーム(導師)はどうするかと言えば、ふつうのアラビア語の語彙で話します。

 たとえば、「アッラーは無始の永遠者であり、かれ以前にはいかなるものも存在しない」という言葉は、アラビア語では日常語だけでできています。むずかしい哲学用語は、入っていません。しかし、日常語だからといって、「あの家は古い」という「カディーム」と、「神は無始の永遠者である」の「カディーム」を混同する人はいません。このように語彙の意味が多重になっているのが、アラビア語の基本です。

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(写真1)「アレッポのアル=ラフマーン・モスクでの金曜日の礼拝前の宗教的説教の様子」(モスクのFacebookページより引用。最終閲覧日:2023年10月16日 https://www.facebook.com/photo?fbid=596434874130904&set=pcb.596434900797568

 説教師は、クルアーンをいつも引用します。その章句の1つが、「おお、信仰する者たちよ、約束を守りなさい」(食卓〔5〕章1節)です。これを「誓約を遵守せよ」と訳することも可能ですが、「誓約」とか「遵守」は、日本でも、日常生活ではあまり使わないと思います。アラビア語で表現する時は、日本語でいえば「約束を守りなさい」という水準の語彙で、聴衆の誰もが理解できるという点が大事です。

 「約束を守る」ということは、経済の分野で言えば「契約を遵守する」ことになりますが、その根元にはこの「約束を守る」という「ワファー」の概念が広がっています。この概念・原則は、イスラームの聖典であるクルアーンに明示されていますし、ハディース(預言者の言行録)にも同様にその重要性が示されています。クルアーンやハディースが、ムスリム(イスラーム教徒)の行動を規定する基本的な源泉であることは言うまでもありません。

 ところが、「約束」や「契約」を守るという概念を探究していくと、単に人間同士の社会的な関係においてだけ言われているのではないことがわかります。ワファーが求められる第1の面は、創造主であるアッラーに対する人間の態度として求められているのです。皆さまもご存じのように、イスラームとは「絶対服従」とか、仏教用語を借りて「帰依」と日本語に訳されていますが、その帰依するということが、ワファーであると言われます。

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執筆者プロフィール

ハシャン アンマール(Khashan Ammar)

立命館大学立命館アジア・日本研究機構・准教授

1983年アレッポ(シリア)生まれ。2004年ダマスカス大学イスラーム法学部卒業、2008年同大学院修士課程修了(ハディース学)、2017年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士(地域研究)。専門:地域研究、イスラーム法学、ハディース学。京都大学、同志社大学、龍谷大学の講師等を経て、現在、立命館大学立命館アジア・日本研究機構准教授。著書に『イスラーム経済の原像:ムハンマド時代の法規定形成から現代の革新まで』(ナカニシヤ出版、2022年2月)など。

ひとこと

西暦7~10世紀くらいの時代を対象としたハディースの研究と、現代のイスラーム経済の研究を合わせてするのは、とても刺激的だと思います。デジタル・デバイスも多用しています。自分のことを、14世紀の歴史の中を往復する「時の旅人」と思うことがあります。

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