Blog #15 「トルコで移民の経験を聞くこと」

2023.09.12

カテゴリ: イスラーム信頼学ブログ

執筆者: 沼田 彩誉子

 「何を学びたいの?それが大切。」私の目をみつめて、東京生まれのあるタタール移民2世の女性は聞きました。トルコ・イスタンブルの彼女の自宅に初めてお邪魔したときのことです。もう10年以上もまえの出来事ですが、あのドキッとした瞬間を今も覚えています。

 かつて、日本や旧満洲、朝鮮半島には、タタールと呼ばれるトルコ系ムスリムの人びとが暮らしていました。彼らの出身はロシアのヴォルガ・ウラル地域ですが、1917年のロシア革命やその後の混乱のなかで、東アジアへと逃れてきたのです。代々木上原駅近くには東京ジャーミーというトルコのモスクがありますが、その前身である東京回教礼拝堂の1938年の建設に深く関わったのがタタール移民でした。すぐ隣にはタタール移民の子どもたちのための学校もつくられ、木造の校舎は2010年代半ばまで残されていました。

 私が特に関心を寄せてきたのが、この子どもたち、つまり東京や神戸、名古屋、ハルビン、ハイラル、京城(現ソウル)といった東アジアにおけるかつての集住地で生まれた、第2世代の経験です。20世紀後半に入ると、日本に留まった一部の人びとを除いて、第1・第2世代の多くはトルコやアメリカへと渡っていきました。言い換えれば、第2世代は移住先(日本、旧満洲、朝鮮半島)で生を受けただけでなく、自らも第三国(トルコ、アメリカ)へ移住し、のちに先祖の出身地(ロシア)を訪問するという、世界規模の移動と関係づくりの経験を有しています。イスラーム信頼学プロジェクトでは、彼ら第2世代と、第2世代の子である第3世代に焦点を当て、語りに基づいて受け入れ社会との関係性を明らかにすることを目指しています。


 インタビューに向かう道中。ボスフォラス海峡を渡る船上で飲む一杯のチャイ。
(2013年1月、沼田撮影)

 タタール移民の経験を知りたいと、2010年より日本、トルコ、アメリカでインタビューを行ってきました。しかし、インタビューとはそもそもいかなる行為なのでしょうか。

 自分の関心のために誰かの話を聞かせてほしいと思い立ったら、まずはインタビューへの協力を依頼します。運よく受け入れてもらえたら、日時や場所を決め、インタビューのあれこれを考えます。前もって細かく質問を準備するのか、できる限り自由に語ってもらうのか。録音するのか、撮影するのか、メモだけをとるのか。当日の服装は?手土産は?準備のあいだ、私たちは相手のことをずっと考えるでしょう。

 けれど、インタビューをお願いする側だけが、相手をみているわけではありません。インタビューは、聞き手と語り手の双方がいることで成立します。聞き手は自分の関心に基づいて質問や反応を投げかけ、語り手はそれらに応答しながら、語るのです。このことから、インタビューは相互行為であるといわれます。つまり、インタビューを受けてくれた相手も、インタビューを依頼してきた人物はどこの誰で、何のために話を聞こうとするのかを、みているのです。

 インタビューを始める際には、日本から来た博士課程の学生であり、タタール移民の歴史を当事者の経験から学びたいと思っていること、それを博士論文や本の形で発表したいことを伝えてきました。しかし、このように目的を説明することだけで、お互いの理解が達成されるわけではありません。むしろ関係づくりの始まりといっていいでしょう。


 インタビューの合間のお茶の席。大切に使い続けてきたという日本製のティーセットでもてなしてくださった。
(2015年10月、沼田撮影)

 長期海外調査では、現地で衣食住を整え、生活を送りながら、そしてその生活そのものから学びながら、調査に臨みます。4年にわたって滞在したトルコでは、調査以外にもさまざまなことが起こりました。調査に協力してくださった方々は、私がイスタンブルのヨーロッパ側にある古いアパートで、トルコ人女性とフラットシェアをしていることを知っていました。きちんと食事をとっているのか、体調はどうか、居住環境は落ち着いているのか、安全なのか、収入面に問題はないのか、将来はどうするのかと気にかけてくださる人びととの関係を、単に調査者と調査協力者としてのみ捉えることはできません。

 例として、呼び名の変化によって、私自身の感覚が変化した経験をあげましょう。当初私は「ジャポン・クズ(日本人の女の子)」と呼ばれていました。しかし、「クズムズ/クズム(私たちの娘/私の娘)」と呼ばれるようになると、トルコ社会やタタール移民社会の女性規範をより一層気に掛けるようになったのです。「私たちの娘/私の娘」というトルコ語の表現は、日本語より気軽に用いられます。それでも特定の場所や会話の流れによっては、娘と呼んでくれた人物の名誉に配慮した行動を取ることが、良好な関係を維持するために欠かせません。このとき私は、調査者としてみる側に立とうとしながら、同時にみられる側にも置かれていたでしょう。

 インタビュー・データ(語り)とは、このような調査者自身の経験のなかで得られるものです。したがって調査者のありようを、中立の立場から客観的に観察する者としてではなく、タタール移民第2・第3世代の関係づくりを知ろうとする過程に組み込まれた存在として捉えたいと考えています。第2世代の女性が発した「何を学びたいの?」という一言は、他者を知ろうとする調査者自身の姿と、単に調査の目的を伝えるだけでは満たされないインタビューの奥深さを照らし出す問いかけといえるかもしれません。


アンカラ・タタール移民協会主催のオンライン博士論文報告会。トルコ、アメリカ、カナダからの参加者が一堂に会した。
(2023年3月、Youtube https://www.youtube.com/watch?v=tp2D0OutKU8&t=2314s)

おすすめの図書

 桜井厚著『ライフストーリー論』弘文堂、2012年
 著者は、現場で人びとの語りを聞くための方法論を発展させてきた、ライフストーリー研究の第一人者です。初見では難しいかもしれませんが(私は苦戦しました)、実際のインタビューを重ねながら読み直すことで、すとんと腑に落ちる瞬間にきっと出会えるでしょう。

執筆者プロフィール

沼田 彩誉子(Sayoko Numata)

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・ジュニア・フェロー

2020年、早稲田大学大学院人間科学研究科修了、博士(人間科学)。専門は、オーラルヒストリー・移民研究。主著に「極東生まれのタタール移民2 世の移住経験:『テュルク・ムスリムの国』トルコへの適応過程における『経由地』極東の役割」(『日本オーラル・ヒストリー研究』15、2019年)など。近刊に「『日本を懐かしむトルコ人』との邂逅:日本人特派員が描いたイスタンブルのタタール移民」(長沢栄治監修・嶺崎寛子編著『イスラーム・ジェンダー・スタディーズ7』明石書店、2023年内予定)。

ひとこと

義務教育で学ぶ歴史を身近に感じることはできなかったけれど、ひとりひとりが辿ってきた歴史としての人生にはものすごく興味がある!ということを、インタビューを始めてから自覚しました。誰もが限られた時間を生きるなかで、その経験を直接聞かせてもらえることは、幸運だなと思っています。

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