Blog #14 「ムスリム(イスラーム教徒)ってどんな人たち?〜ムスリムとの信頼関係構築を考える〜」

2023.09.12

カテゴリ: イスラーム信頼学ブログ

執筆者: 中野 祥子

「がんばる!がんばる!って言うてるのは日本人だけやで」。

インタビューの際、あるアフガニスタン・ムスリムの方に言われた言葉です。彼は難民として来日してから10年以上日本で過ごし、日本人や日本社会をよく知り、関西弁を自由に操っていました。

彼は続けて言いました。
「アラビア語に “がんばる”という言葉はない。代わりに “インシャ・アッラー”(神が望めば。神の思し召しがあれば。)という言葉がある。僕たちが自分の力でできることなんてほんの小さなこと。ただ神様が決めた道を信じていくだけ。」と。

彼のこの言葉は、何もしないで待つという意味ではなく、できる限りの努力をしたうえで「最後は神様を信じ、どんな結末も受け入れる」という意味だそうです。

「日本人は過去も未来も自分のせいにして、頑張らなあかん、頑張らなあかん(頑張らなければならないという意味の関西弁)と追い込みすぎ。それは日本人の良いところでもあるけど、そりゃストレス溜まるで。」

彼の言葉にはっとしました。

当時、私は大学院生で、まさに「研究職につくのは難しそうだ。この道を選んでよかったのか。どうしてもっと努力してこなかったのか…」と自分を責め、将来に不安を覚えているときでした。そして「もっと頑張らなければ」と自分を追い込み疲れきっていました。

彼は同世代だったのですが、その表情からは芯の強さと自信、余裕が感じられ、なんと美しい、なんと羨ましいのだろう。こういう考え方もあるんだなぁ‥と衝撃をうけました。
彼の「あなたの頑張りは神様が見てるから心配しなくても大丈夫」という言葉に心が軽くなり、泣いてしまったことを覚えています。

みなさんはムスリムと聞くとどのようなイメージを持ちますか?
大学生・高校生約300名へ実施した調査では、「厳格」「真面目」「辛抱強い」「辛そう」といった印象が上位でした。

ムスリムの断食や礼拝、服装、飲食の決まりといった戒律が日本人には大変な苦行にみえることの反映のようです(研究を始める前の私も同じようなイメージを持っていました)。

私の研究は「日本にいるムスリムがどのように信仰や宗教的価値観と向き合いながら日本人や日本社会と付き合っていくのか」について心理学的視点から読み解こうとするものです。何百名ものムスリムの方へのインタビューや交流を通じて、私のイメージは変わりました。彼らの心の平穏さや、他者への思いやりと結びつきの強さに魅せられ、「何か(彼らの場合は神)を揺るがずに信じること」の強さと尊さを知りました。

私は学校や市町村、企業から、ムスリムの受け入れ対応について問い合わせをいただいたり、研修をさせていただいたりすることがあります。そこでよく「ムスリムに対してどのように対応すべきか。何をしてはいけないか。」と尋ねられます。皆さんが相手の宗教的タブーを犯したり嫌な思いをさせたりしないかを心配し、おもてなしをしたいという気持ちがうかがえます。

しかしながら、すべてのムスリムに万能な対応はありません。信仰との向き合い方はひとりひとり異なっているからです。過度な配慮や「イスラーム教だからこうでしょ?」という決めつけが、かえってムスリムの方を傷つけることもあります。

よく驚かれますが、ムスリム(少なくとも日本にいるムスリムで私が出会った方は)皆さんが想像しているより柔軟なのです。

例えば、日本ではハラールフード(イスラーム教の戒律によって許された食べ物のこと)を提供しているスーパーやレストランが少なく、ムスリムの方が困ることがあります。そのため、「アメリカ産の肉はキリスト教徒が処理している可能性が高いため、食べてもいいことにする」と決めて国産肉を避け、アメリカ系列のチェーン店に好んでいく方もいます。
 
これは「キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラーム教徒は同じ啓典の民であるから、もとを辿れば同じ神を信じている者が裁いて処理した肉なので、日本人のような神を信じない、あるいは異なるものを信仰する者が処理した肉よりもよい」という解釈に基づきます(クルアーンに記載されているものではなく、インタビューで語られた個々人の見解です)。
特に料理に使うお酒や豚肉以外の肉に対する許容度や解釈は人によって異なる印象があります。

日本では、「ムスリム」をひとまとめにして一様にとらえられがちです。そのため、在日ムスリムが、日本人による過度な配慮への罪悪感やピアプレッシャー(同調圧力)を感じることが少なくありません。

このような困難は日本社会×ムスリムという組み合わせで起きるものなのかもしれません。それを調べるべく、今年の3月にアメリカのニュージャージー州へ行き、20名弱の在米ムスリム移民・難民に面接調査を行ってきました(詳しくはこれから研究報告にまとめます)。アメリカに住む彼らは在日ムスリムが経験するような心理的葛藤は感じていませんでした。むしろ、他者への関心が低く、個性や多様性に寛容なアメリカ社会が心地よい様子でした。

移民・難民の受け入れ支援をしている職員さんに、ムスリムへの対応のコツを尋ねると「アイスクリームの話をすればいいよ。みんな暑い時は大好きでしょ。」とおっしゃいました。少し意外な答えではないでしょうか。

私は、何かプロフェッショナルで特別なテクニックが語られるだろうと予想していたので拍子抜けしてしました。共通点をみつけて互いに楽むという、万人に通用する対人関係の極意ですね。

私たちホストは外国人移民・難民の方に対して「何かをしてあげる」という感覚を無意識のうちに持っているのかもしれません。また、「私たちとは異なる特別な存在」だと思い込んでいる側面があるでしょう。

信頼関係の構築は、お互いに平等な立場で話をすることから始まるのではないでしょうか。


ニュージャージー州にあるモスク。Muslim American Community Association (MACA – Voorhees Mosque) 。このモスクは9.11以降初めてニュージャージー州に建てられました。創立者は異教徒との信頼構築に尽力されたそうです。
※写真は全て2023年3月撮影


礼拝所です。このモスクには図書館やキッチン、ミーティングルームもあります。


モスクで頂いたパキスタン料理。どれもとってもおいしかったです。
インタビューあるあるなのですが、行く先々で軽食を用意していただき「さあ食べて」と言われることが多いです。

執筆者プロフィール

中野 祥子(Sachiko Nakano)

山口大学教育・学生支援機構留学生センター・講師

1988年生。2017年岡山大学大学院社会文化科学研究科博士課程修了(博士、文化科学)。同年現職に着任。専門:異文化間心理学、日本語教育。「やさしい日本語」や「異文化理解」、「ムスリムとの共生」に関する研修や講演も行う。主要著書に『異文化間教育事典』(第Ⅲ部 異文化間教育の領域 (2)異文化適応;カルチャーショック)明石書店(2022年)、『日本人学生むけムスリム文化アシミレーター』大学生協出版(2016年)。論文に「日本人ホストはムスリム留学生とどのように対人関係を築くのか」『多文化関係学』第14巻pp.57-75.(2017年)、“Difficulties and Coping Strategy of Muslims in Japan During Intercultural Contact Situations: Analysis of Difficulties Related to Demographic, Coping Strategies.” In Gastardo-Conaco.‘Asian Psychology and Asian Societies in the Midst of Change’, Progress in Asian Social Psychology Series (11)pp.29-58. (2017年)など。

ひとこと

もともとは新聞報道についてマスコミ研究をしていました。調査で出会ったあるインドネシア人ムスリムに「新聞報道よりも、どうして私たちが日本人と友達になれないか教えてほしい。ムスリムだからですか。」と言われたことを契機にムスリムと日本人との対人関係形成に興味をもち始めました。このプロジェクトでは、在日ムスリム移民・難民と日本人との信頼関係構築の機序を読み解こうとしています。

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