Blog #7 「幕末の「日本人」のイスラーム体験」

2022.02.02

カテゴリ: イスラーム信頼学ブログ

執筆者: 黒田 賢治

 近年の日本では、ムスリム(イスラーム教徒)が隣人として暮らすことも珍しいことではなくなってきました。とはいえ、ムスリムやイスラームへの理解が日本の社会で深まってきたと楽観的に言えないでしょう。また、私たちと同じ時代に生きるムスリムを理解することも重要ですが、現在の日本における理解というものが、どのような歴史的経緯から発展してきたかを確認しておくことも重要でしょう。

 私の研究は、幕末にムスリムと初めて出会った日本人たちがムスリムやイスラームについて残した記述を手掛かりに、彼らがムスリムの宗教実践やイスラームと社会との関係をどのように捉えていたのかを明らかにしていくことです。いわば幕末の日本の人々による「フィールドワーク」を辿りながら、日本のイスラーム理解の源流を探っていこうというものです。

スフィンクス前で集合写真を撮る池田使節団(国立国会図書館『本の万華鏡』)
https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/14/img/05.jpg

 高校や中学校の歴史の資料集で、スフィンクスの前で撮影された武士の写真を目にした方も少なくないのではないでしょうか。その写真は外国奉行であった池田長発(いけだながおき)を総責任者とした横浜鎖港談判使節、いわゆる池田使節団一行を、イタリアの写真家アントニオ・ベアトが1864年にエジプトのカイロ郊外で撮影したものです。私も高校の日本史の資料集でその写真を初めてみたときに、ピラミッドにスフィンクス、そして武士という不思議な組み合わせに強い印象を受けたことを覚えています。

 この池田使節団を含め、幕末には外交使節や留学生などとして数百人の日本人が西欧諸国を目指しました。喜望峰周りでの渡欧ルートもありましたが、紅海から地中海に抜けるルートが主流でした。スエズ運河が1869年に開通する以前でしたので、一度スエズから上陸し、鉄道でカイロを経由し、アレキサンドリアから再び船で西欧を目指すルートでした。また蒸気船の石炭の補給のために、今日のイエメンのアデンに寄港するということも多々ありました。あるいは民間の郵船に乗っていれば、スエズやアデンを目指す途上で、アラブ人やペルシア人と同船することもありました。つまり幕末に渡欧した日本人は、上陸したエジプト各地や寄港地アデン、また船上でムスリムでもある中東の人々と出会う機会があったということです。

 一般にイスラームという宗教の存在が日本で「発見」されたのは、江戸時代中期のことと言われています。奈良時代や鎌倉時代などにも現在の中国で、アラブ人やペルシア人たちとも出会っていました。しかし、ムスリムもイスラームもはたまたアラブやペルシアについても知られていなかったために、仏教と縁の深い天竺と関連づけられるなどして理解されました。また江戸時代の初期には、ムスリムの商人が長崎を訪れていたようです。それでも、イスラームという宗教は日本では知られていませんでした。

 日本でイスラームについて初めて言及したのは、政治家であり朱子学者であった新井白石です。18世紀初頭に、白石は鎖国体制をとっていた日本に潜入したキリスト教の宣教師を尋問し、その記録のなかで他の文献と合わせて「マァゴメタン」また「回回」という名前でイスラームに言及しました。白石の情報は、当時には機密情報として扱われ、幕閣の一部しか知ることはありませんでしたが、19世紀になると西洋の知識を取り入れた地理書が作成され、イスラームについても断片的に紹介されるようになりました。なかには西洋のイスラームに対する偏見や誤解を含んだ情報がそのまま紹介されることもありました。こうしたイスラーム理解が本格的に変わるのは、明治維新以降のことになります。

 しかしながら、少なくとも幕末に渡欧した日本人は、断片的ながらもイスラームという宗教の存在を知っていただけでなく、実際にその信仰をしている人々を目の当たりにしたことになります。断片的な知識しか手に入らない状況で、彼らがイスラームやムスリムについてどのような記録を残していたのかを知ることは、日本のイスラーム理解の原風景を知ることに他ならないでしょう。

 イスラーム信頼学プロジェクトでは、イスラーム文明が歴史的に培ってきた他者との間の信頼を構築する技術について明らかにすることで、今日の世界において深刻化する不信と分極化・分断化の諸問題を解決するための視座を提供し、新たな提言を行うことを目指しています。ですが、イスラームが歴史的に培ってきたコネクティビティを日本の社会がどのように理解してきたのかも、日本という場で研究するのであれば、明らかにする必要があるのではないでしょうか。

「阨日多(エジプト)城内寺院之図」高嶋久也『歐西紀行』第7巻(国立国会図書館所蔵)

『本の万華鏡』の掲載許可について
https://www.ndl.go.jp/kaleido/about.html
NDLデジタルの著作権保護期間を満了した資料の使用許可について
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執筆者プロフィール

黒田 賢治(Kenji Kuroda)

国立民族学博物館 グローバル現象研究部 助教

1982年生。2011年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了後、日本学術振興会特別研究員などを経て現職。著書に『戦争の記憶と国家——帰還兵が見た殉教と忘却の現代イラン』(世界思想社、2021年)、『イランにおける宗教と国家——現代シーア派の実相』(ナカニシヤ出版、2015年)。共著に『「サトコとナダ」から考えるイスラム入門――ムスリムの生活、文化、歴史』(星海社、2018年)、共編著に『大学生・社会人のためのイスラーム講座』(ナカニシヤ出版、2018年)など。

ひとこと

中東のイランの国家体制についてフィールドワークに基づいて研究する傍ら、日本と中東・イスラーム世界との関係史について研究しています。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、イランでのフィールドワークは困難となっています。ですが、幕末の先人たちが中東社会で行った「民族誌」を紐解きながら、巣篭り生活を楽しんでいます。

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