Blog #2 「イスラーム発の新しいお金のしくみが世界を変える?」

2021.05.19

カテゴリ: イスラーム信頼学ブログ

執筆者: 長岡 慎介

「今からそちらに行くから、どうしたらよいか一緒に考えよう。」

アラブ首長国連邦のドバイのとある銀行で私がインタビュー調査をしているとき、机の向こうにいた恰幅の良い貸出担当部門のマネージャーは、かかってきた電話の相手に向かってこう言いました。どうやら、電話の相手はこの銀行からお金を借りてアラブの民芸品を売っているビジネスマンで、売れ行きがあまり芳しくないためお金の返済期限を延ばしてほしいというお願いをしているようでした。

マネージャーは、私からのインタビューを途中で切り上げてそのビジネスマンのお店に行くことになりました。私も同行の許可をもらって付いていくと、お店につくなり、マネージャーは矢継ぎ早に「いくらでどこにどれだけ売っているのか?」「その売り方では売れないぞ!」「あの商品をもっと仕入れないと!」とビジネスマンに質問とアドバイスを浴びせかけました。さらに、お店に陳列されている民芸品のレイアウトをビジネスマンに断りもなくどんどん変えていったり、お店の取引先に自ら電話をして何か商品を注文したりしたのです。唖然とする私のそばで、そのビジネスマンは、こんなのは当たり前なんだという顔をして、マネージャーを手伝ったり、ときには意見を返したりしていました。

ビジネスマンとマネージャーの問答が一通り終わると、「これで来月は売り上げがよくなるだろう!またね!」とマネージャーはお店を出て車に乗り込んでいきました。私が「お金の返済の話をしていませんけど?」と聞くと、「このお店の今月の売り上げは全然ダメだったけど、来月は多くのもうけが期待できそうだから、今日は返済の話はしなかった。もうけが出たら返してもらえばいいし、そちらの方が私の銀行にとっても得だからね」と言って、気にするそぶりをほとんど見せませんでした。

写真1:中東の国々にある伝統的な市場(写真はドバイ)。市場はアラビア語で「スーク」と呼ぶ。(筆者撮影)

私はこのビジネスマンのことが気になって、翌月、再び、この銀行のマネージャーのもとを訪れると、現れたマネージャーは「あの後、あの店の売り上げが急によくなってね。俺の言った通りだろう?うちの銀行もたくさんもうけさせてもらったよ」と満面の笑みで私を迎えてくれました。

さて、日本の銀行のお金の貸し借りのしくみをよく知っている皆さんは、「この銀行のマネージャーはお店の商売に口を出しすぎなのではないだろうか?」「返済期限が来たのに、銀行はなんでお金を返せとはっきり言わないのだろうか?」「お金を借りているお店の売り上げがよくなることで、銀行ももうけが増えることなんてあるのだろうか?」こうした疑問を持つかもしれません。

私たちの知っている銀行のしくみでは、銀行がお金を貸したら、そのお金をどう使うかは借りた人に任せられます。また、返済期限が来たら、返すお金がなくて困っていても借りたお金に利子を付けて必ず銀行に返さなくてはなりません。逆に、そのお店がどんなにもうかっていても、借りた人は銀行に多くお金を返す必要はなく、銀行のもうけが増えることはありません。

私がドバイで目にしたお金の貸し借りのやり方は、こうした私たちの「常識」とはまったく異なるものです。実は、こうした新しいお金の貸し借りをする銀行が、イスラーム世界の各地で次々と登場してきているのです。そして、ドバイはそうした新しい銀行が初めて作られた場所なのです。

写真2:世界初のイスラーム銀行であるドバイ・イスラーム銀行。(筆者撮影)

この新しい銀行は、イスラームの教えに沿ってお金の貸し借りが行われているため、「イスラーム銀行」と呼ばれています。イスラームの教えでは、銀行がお金を貸して、利子を付けて返済してもらうのをただ待っている態度を嫌います。そうではなく、銀行も借り手の商売が成功するように、積極的に協力すべきものだと考えているのです。そして、もし借り手の商売が成功したならば、そのもうけの一部を銀行が受け取ることができるのです。逆に、借り手の商売が失敗したならば、銀行にもその責任があるとして、お金の返済を求めることはできません。

先ほど見てきたドバイの銀行のマネージャーとビジネスマンのやりとりは、まさにこのイスラームの教えを体現したものになっていることがわかるでしょう。銀行のマネージャーは、貸したお金がきちんと返ってくるように、そしてより多くのもうけを銀行が手に入れるために、ビジネスマンの商売に積極的に口を出していたのです。ビジネスマンにとっても、自分の商売がより成功するために親身になって相談に乗ってくれる銀行は、とても頼もしい存在に映っています。

このようにイスラーム銀行では、貸し手と借り手があたかもビジネスの共同経営者のようにお互いが手を携えながら商売をする姿を垣間見ることができるのです。さらに言えば、銀行が貸し出すお金は、そもそもはお金を預けている一般庶民のものです。イスラーム銀行では、お金を預けている一般庶民も銀行がきちんとしたところに自分たちのお金を貸しているか、常にチェックすることが求められています。その意味では、一般庶民も共同経営者の1人といってもよいでしょう。

私たちが暮らす今の経済のしくみは、様々な問題を抱えています。その1つが、お金に対する無責任さです。お金を銀行に預けている私たちは、そのお金がどんなところに貸し出され、どんなことに使われているかについて無関心です。その結果、私たちはなんとなく預金の対価である利子を受け取ったり、目先のもうけだけを考えて預ける銀行を決めたりしがちです。他方、お金を借りている人も、そのお金が誰から提供されたものなのかを考えることはめったにありません。そのため、無謀な商売に走ったり、本来の借りた目的以外にお金を使ってしまったりして、経済全体に大きな損を生じさせてしまうことがしばしば見られるようになってきています。

「金融危機」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。2007年に起きた金融危機は、世界全体にこれまでにないほどの被害をもたらしたことから「世界金融危機」と呼ばれています。こうした金融危機は、こうしたお金に対する無責任さ、つまり、貸し手と借り手の「顔」が互いに見えない今の経済のしくみを利用して、それぞれが好き勝手にお金を使うようになったことの帰結として起こったのです。

私が紹介したイスラーム銀行は、こうしたあり方とはまさに対極にあるお金のしくみです。それは、貸し手と借り手の互いの「顔」がはっきりと見えて、両者の信頼の下でお金が使われるしくみだと言うことができます。イスラーム銀行は、世界金融危機以降、「顔」の見えないお金のしくみの怖さを経験した世界中の人々から、より望ましいお金のしくみとして大きな注目を集め始めています。

イスラーム銀行は、イスラーム教徒だけのものではありません。そのしくみに賛同する人であれば誰でも利用が可能です。ですから、もしこのお金のしくみがいいと思ったのなら、誰でも応用することができます。実際、世界各地で今のお金の問題を正すために、イスラーム銀行と同じように「顔」の見えるお金のしくみを改めて作りだそうという動きが活発になってきています。

 
写真3:イスラーム銀行にはその考え方に賛同した欧米の銀行が続々参入している。左はHSBC。右はスタンダード・チャータード銀行のそれぞれイスラーム銀行専用ATM。いずれも世界を代表する銀行だ。(筆者撮影)

その意味で、イスラーム銀行の知恵は、イスラーム教徒/非イスラーム教徒の境界を乗り越える普遍的な力を持っていると私は考えます。そして、そうした知恵は、実はイスラームの考え方のいたるところに潜んでいるのです。

イスラーム教徒の人口は、22世紀に向けてさらに増えていき、私たちの社会もイスラームと無縁で生きていくことはできなくなるでしょう。明るい地球社会の未来をイスラーム教徒と手を携えて作っていくためにも、そうしたイスラームの知恵を発掘して、人類共通の財産として活用していくことが、これからの私たちに求められているのではないでしょうか。イスラームから始まった新しいお金のしくみの世界的な広がりは、その先駆け的な取り組みだと言えるかもしれません。

執筆者プロフィール

長岡 慎介(長岡慎介)

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・教授

1979年生。東京大学農学部卒業。東京大学大学院経済学研究科修士課程修了(修士、経済学)。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了(博士、地域研究)。同准教授を経て現職。著書に『現代イスラーム金融論』(名古屋大学出版会、2011年)、『お金って何だろう?あなたと考えたいこれからの経済』(平凡社、2017年)、『資本主義の未来と現代イスラーム経済(上・下)』(詩想舎、2020年)。

ひとこと

1400年にもわたるイスラーム文明の長い歴史の中では、独自の経済のしくみが数多く編み出されてきました。そうしたしくみが、20世紀に入ってから装いも新たな形で再登場してきており、その実態についてイスラーム世界各地をフィールドにして研究をしています。最近は、イスラームと他地域で共通して見られる独自の経済の考え方やしくみを比較しながら、次世代の地球社会にとってより望ましい経済のあり方を探究しています。

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