Blog #10 「アラビア語で書かれた国際法の本を読む」

2023.01.19

カテゴリ: イスラーム信頼学ブログ

執筆者: 沖 祐太郎

 私は中東・イスラーム世界の人々、特に19世紀末から20世紀初頭のアラビア語圏の人々がどのように国際法の知識を獲得して利用していったかということを研究してきました。国際法は、主に国家間の関係を規律して国際社会の秩序を維持することを目的とした規範です。ただこの法は、「主権」「国家」「法」「領土」など非常にヨーロッパ的な観念を用いて、しかもヨーロッパ諸国の慣習をもとに国際法の「体系書」の形で整理され、19世紀の後半にその基礎が固められたものです。その意味で元々非常に近代ヨーロッパ的なものです。そのため非ヨーロッパ地域の人々にとっては、地域によって程度の差はありつつも、多かれ少なかれ未知あるいは異質なものでした。私の研究は、こうした未知の知識としての国際法がどのように受容されていったか(あるいはされなかったか)を、アラビア語で書かれた最初期の国際法文献の分析を通じて明らかにしようとしてきました。

 参考までに同じ時代の日本の状況を振り返ってみますと、最初期こそ清朝で漢訳された『万国公法』の和訳なども行われていましたが、その後は欧米の国際法の書籍からの直接の翻訳が行われ、その後、独自の体系書が書かれるといった経緯をたどりました。一言で「国際法の書籍」とはいっても、その構成や具体的な内容、さらには国際法に対する基本的な考え方など、論者によって様々です。そのため、翻訳書が出版される過程では、様々な立場から書かれた体系書が訳出されています。これが、後の独自の著作の作成、ひいては日本における国際法学の発展につながっていったというふうに理解することができます。

 ところがアラビア語での国際法の書籍の歴史を紐解いてみますと、大分様子が違います。日本の場合のように、欧米の書籍からの翻訳は極めて稀で、当初からオリジナルの著作が出版されます。その内容を細かくみていくと、実際には欧米の書籍が参照されていることが確認できるのですが、しかし、それも何か特定の著作に依拠しているということではなく、複数のものから選び取られて使用されています。しかも参照される複数の書籍は、しばしば国際法の主要論点––例えば国際法の妥当根拠など––に関する基本的な考え方さえ異なることもあります。つまり、一つの国際法の書籍の中に複数の国際法観が混在しているわけです。こうした事態は「理論的な一貫性を欠いている」と否定的に評価することもできるかもしれませんが、わざわざ複数の書籍からの取捨選択が行われているわけですから、何らかの意味があるはずです。そこで現在、私は個々の書籍について取捨選択の過程を跡づけ、その意図と効果とを検討しているところです。

 さて、この他にもアラビア語の国際法の書籍には顕著な特徴があります。それは各書籍の背景にある多様なコネクティビティです。例えば、1900年に『諸国民の法と諸国の条約についての書』という書籍がカイロで出版されていますが、著者はエジプト人ではなく、レバノンのドゥルーズ派名家であるアルスラーン家出身のアミーン・アルスラーンという人物です。しかも原稿自体は、彼が当時オスマン帝国総領事として勤務していたブリュッセルから送付されたようです。出版自体も、シリア・レバノン系の移民であるJ.ザイダーンによって設立されたヒラールという出版社から行われています。アルスラーンのこの書籍に限らず、当時のアラビア語書籍には、著者、訳者、出版社のいずれかにシリア・レバノン系の移民が関わっているものが多数あります。こうした特徴は、その後のアラビア語圏への国際法の知識の広がりやアラビア語での国際法の用語の翻訳の整理・統一に影響を与えたものと考えられます。この時代のアラビア語での国際法の書籍は、先行するアラビア語の書籍に明示的に言及することがほとんどなく、存在していたと推定されるコネクティビティが見えなくなっているのですが、個々の書籍を丁寧に実証的に検討していくことで、その意義を確認していくという作業も今後行うべきことだと思っています。

※アミーン・アルスラーン『諸国民の法と諸国の条約についての書』(カイロ、ヒラール出版、1900年)の表紙

 ところで、話は大きく変わりまして私の「研究」というわけではないのですが、イスラーム信頼学には多少関係しそうな話なので、もう少しお付き合いください。イスラーム信頼学プロジェクトが開始された2021年以来、私は九州大学国際部にあるJ-MENAオフィスというところで働いております。このオフィスは文科省の「日本留学海外拠点連携推進事業」の中東・北アフリカ地域(MENA地域、文科省の定義では21カ国)の担当オフィスという位置付けで、日本の大学をこの地域に対してプロモーションするということが主たる任務です。日本への優秀な留学生を増やすということが最大の目的ですので、MENA地域からの学生獲得に関心がある日本の大学と関係性を作ったり、こうした大学と一緒に日本留学フェアを行ったり、留学生のインタビュー動画を作成したり、日本の大学との研究・教育交流を促進するため現地の大学、高校、関係省庁、日本大使館、帰国留学生などとのネットワーク作ったりと、色々な試みを行なっております。特に現地の関連機関向けの活動をしていますと、現在のMENA諸国間、MENA諸国と他国との教育・学術交流の動向に触れることになります。私自身は、こうした動向に関し研究する素養が十分ではないので、ご研究にお役立ていただける、もしくは関心をお持ちの方は、ぜひぜひご連絡ください。

※(左)アンマンでの日本留学フェアの様子(2022年5月)
(右)キング・サウード大学と日本の大学との交流実施のための打ち合わせ(2022年6月)

執筆者プロフィール

沖 祐太郎(Yutaroh OKI)

九州大学国際部国際戦略企画室(J-MENAオフィス) 特任准教授

1986年生。2014年、九州大学法学府博士後期課程、単位取得退学。九州大学法学研究院助教、講師(GVプログラム)を経て、2021年より現職。専門は国際法、国際法史。

ひとこと

中東地域への日本の大学のプロモーションなどを行いつつ、この地域における国際法受容の歴史を研究しています。国際法の書籍の執筆、翻訳、出版、教育、それらに関わる人の流れなどに関心を持って研究しています。

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