Blog #12 「GIS研究者とエジプト研究の間にあるコネクティビティ」

2023.08.11

カテゴリ: イスラーム信頼学ブログ

執筆者: 佐藤 将

 私は地図を用いた研究を行っている。この研究で主に使用するツールはGIS(Geographic Information Systems)と呼ばれている。このツールを用いて、普段は統計データと位置情報をもつ地図データとを組み合わせ、地域ごとの人口動態の差異について検証を行うなどしている。他方で、GISを用いると、現在の地図データを古地図や航空写真と比較することも可能であり、AA研在籍時より以前から古地図の情報をもとにエジプトの地図を作ってきた。今回のブログではGIS研究者が地図を通して見たエジプトについて簡単に記していく。

 はじめに取り上げるのは、アブー・スィネータ村である。この村は、一橋大学の名誉教授である加藤博先生の研究フィールド地の一つであるとともに、中東研究者界隈では日本一有名な村とも呼ばれている。この村の歴史については加藤先生の著書「アブー・スィネータ村: 個人史のなかのエジプト村落論」を読んでいただくとして、ここでは、この村周辺で流れているナイル川流域の地形変化について、述べていきたい。


アブー・スィネータ村周辺の19世紀初頭と現代との比較図

 上の図は、19世紀初頭には存在した運河が、現代においては消滅していることを示したものである。Aがナポレオン地図、Bが現代の航空写真である。Aの地図に載っている運河をトレースし、Bの現代の地図に位置合わせして載せることによって、運河の有無を通して一目で地形変化がわかるように示したものである。なぜ運河は消滅したのか?現代の地図には3つの人工的な運河が流れている。ナポレオン地図には載っていないので、19世紀初頭以後に完成した運河である。この運河ができたことによって、通年灌漑が可能となり、農業生産は向上した。一方、運河の開通により水の流れが変化したことで、白線でトレースした古い運河は消滅したのである。


カイロ旧市街地における道路ネットワークを可視化した地図。AとBはそれぞれの地点で筆者が撮影した写真である。

 エジプトの地図については、都市内部の地図も作成している。左上の図はカイロ旧市街地であるが、Space Syntaxと呼ばれる都市内部における街路網のつながり度合いを定量化する分析手法を用いて、道路ネットワークを可視化している。道路データについては、1938年にエジプトの測量省によって制作された500:1の紙地図を、デジタル処理を行った上で、分析に用いた。地図上に描かれているInt.V とは、近接性(近づきやすさ、アクセスの良さを示す概念、英語:accessibility)を表した評価指標である。この地図では、暖色系(赤・橙・黄色)の色で示された道はアクセスしやすく、寒色系(エメラルドグリーン・水色・青)で示された道はアクセスしづらいことを意味しており、暖色系で色付けされた道は多様な人々が行き交う道であることが、示されている。この可視化を通して、市街地の中心を通るMu‘izz Streetがアクセスの中心となり、南北方向への接続の起点となっていることを明らかにすることができた。他方で、寒色系の色で示された袋小路の特徴も見出すことができた。右上の写真で示しているのは左上の地図の地点A及びBにある袋小路である。現地に赴いた時に撮影した写真であるが、分析通りというべきか、実際に、人が活発に動いているというわけではなく、閑散とした様子であった。

 さて、先ほど、これらの写真はエジプトで現地に赴いて撮影したものと書いたが、昨年(2022年)12月にエジプトに行く機会があった。その目的は、ハルガダで行われた国際学会での発表である。NARSS(National Authority for Remote Sensing & Space Sciences)と呼ばれるこの学会は、エジプトでのリモートセンシング技術に関する学会である。そこで行われた発表内容の大半は、環境問題に関わる内容であった。その中で私自身が関心を持ったのは、地震だ。特に驚愕したのは、エジプトでは震度5レベルで地割れをはじめとした被害が生じているということだった。地震大国日本に住んでいると、以前にもまして耐震補強を行っている建物が多い影響もあり、大きな被害が生じることはない(東日本大震災時に、東京の大正期の建物内部の崩壊はあったが)。こうした話を聞くと、日本の耐震技術に感謝しなければならないと思う一方で、「日本の技術をもっと諸外国で展開できるようなシステム作りができないか。」とも感じた。学会運営の点でも驚いたことがある。それは、時間通りでないことだ。今回の学会では、実際になされた口頭発表は、予定されていたものの半分程度であった。空白時間をどうするのかというと、日本の場合は、自由時間になってプログラムを時間通りに進めるのが普通である。一方、エジプトでは、発表時間が繰り上がるのである。私も、あるはずだった前4人の発表がなく、予定より1時間以上も早く発表することとなった。


写真はハルガダでの国際学会の様子。こちらはポスター会場である。

 以上、私の地図を通したエジプト研究との関わりを書いてきた。今年3月まで所属していたAA研では、在職期間の後半に、エジプトに加えてトルコやシリア等の中東の歴史地図の管理に携わった。歴史学以外にも、同じブースであった縁でサルの生態学の研究者とつながり、IRC(情報資源利用研究センター)を通して言語学とも関わりがあった。一方で、AA研での勤務が2年間という短い期間であった点や、ちょうどコロナ禍であったというタイミングもあり、様々な分野と交流は少なかったように思う。この4月から私は金沢の地に異動し、研究および教育の業務に就いているが、AA研の人たちと何か共同で研究できる方法を模索してみたいと思っている。それはもちろん、イスラーム信頼学についても同じである。

※最初の図で用いたナポレオン地図については、以下の地図資料を引用したものである。
Panckoucke, C. L. F. 1826. Description de l’Egypte: Atlas géographique. Paris. (David Rumsey Map Collection).

執筆者プロフィール

佐藤 将(Susumu SATO)

金沢星稜大学経済学部・講師

1987年生。2021年、横浜市立大学大学院都市社会文化研究科修了、博士(学術)。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究機関研究員を経て現職。主要論文に「大都市圏近郊における完結出生力の空間構造 : 川崎市を事例に」(『日本都市学会年報』52、2019年)。

ひとこと

私はGISを用いて都市問題にかかわる研究を行っています。その中でも特に行っているのが、子育て支援に向けた人口動態に関する研究です。国内研究を中心に取り組んでいますが、海外に絡んだ研究として、ブログの内容にもあるエジプトの歴史地図に関するGIS分析や、国際関係を可視化する研究も行っています。

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